金沢文化スポーツコミッション

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STORY

加賀藩と弓道

しいのき迎賓館前。金沢21世紀美術館からほど近く、人の往来の多いこの地に、かつて京都の通し矢に出場する加賀藩士たちの稽古場がありました。その歴史を伝える石柱(=歴史のまちしるべ)が、迎賓館敷地内に立っています。正面に「堂形前」と刻まれた石柱の側面には、「どうがたまえ。加賀藩初期、京都の三十三間堂の『通し矢』を模した練習場があり、これを堂形と呼んだ。のち、そこに米倉が建てられた。」と記されています。

歴史のまちしるべ「堂形前」

加賀藩の弓術と吉田大蔵茂氏おおくらしげうじ

江戸時代、天下に名をあげた弓術の名手に加賀藩の吉田大蔵茂氏がいました。茂氏は初代藩主前田利家の家臣吉田業茂なりしげの三男で、豊臣秀次、次いで三代藩主利常に仕え、射手衆となり、禄は400石でした。父祖の後継者として最も射に熟達し、吉田流中興の名人と称され、大阪の陣では利常に従い出征して軍功を挙げ、1800石になりました。

天下一の弓の名手

かつて京都三十三間堂の通し矢には、藩の名誉を懸けて全国の弓の名手が技を競い、多くの加賀藩士も出場しました。吉田大蔵茂氏は、1618年から1628年までに7回出場し、うち6回天下一となりました。同一の藩士で6回の天下一という記録はその後誰にも破られていません。世人はこの系統を大蔵派と呼びました。加賀藩の弓は、弓に弦を張ったとき、上成りが京成りよりも上部にある特徴を持ち、「加州成」と呼ばれました。

旧 弓ノ町

藩政期、足軽は、数人ずつの組ごとに住まいが与えられ、これを組地と呼びました。弓組の組地だったことから「弓ノ町」と名付けられた町が7つありました。現在の小立野に位置する「上弓ノ町」はそのひとつ。

藩校 経武館

加賀藩の藩校に明倫堂と経武館がありました。明倫堂は儒学を主とする教学の場、経武館は武術の稽古場。経武館の修業科目は、射術、馬術、刀術、槍術、居合、鎖鎌、砲術、軍螺ほら等でした。

歴史のまちしるべ
加賀藩校扁額

このストーリーは、2018年10月19〜21日に開催された全日本弓道遠的選手権大会でご紹介したものを再構成したものです。