金沢文化スポーツコミッション

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STORY

金沢市技「バレーボール」

1.制定と普及

金沢市親子バレーボール大会

金沢市親子バレーボール大会

1961年、東京オリンピック開催を控え、国民のスポーツ熱が高まるなか、「スポーツ振興法」が制定され、国民の体力・競技力の向上をめざした施策が推進されることとなりました。
金沢市では、バレーボールは広い敷地や高価な道具を必要とせず、ボールがあれば少人数で練習できるチームスポーツであること、1950年代に金沢教員チームが教員大会全国優勝を飾るなど、指導・普及の基盤が整いやすい種目であったことなどから、東京オリンピックが開催された1964年に、誰でも気軽に親しむことができ、地域・職場における健康づくりのシンボル的なスポーツとして、バレーボールを「市技」に制定しました。
以降、市は、指導者の育成やコートの整備、地域・職場ぐるみでの普及や大会の開催を積極的に進め、1968年度には、職場活動でのチーム数が76社で男子が53チーム、女子が40チームに、地域の公民館活動では、練習回数が1,532回、のべ参加者が33,756人にまで広まりました。

2.バレーボールの歴史

バレーボールは、1895年、老若男女の誰もが楽しめる室内スポーツとして、アメリカ人のウィリアム・G・モーガンによって考案されました。
日本には1913年にF・H・ブラウンによって紹介され、当時は、正式なルールが決まっておらず、多数の人数で競技できるよう16人制で行われていたようです。その後、普及が進み12人制を経て、1927年には9人制が定着し、現在に至るまで9人制は日本独自の種目として親しまれることとなります。
一方、世界的には6人制が主流で、1947年に国際バレーボール連盟が結成され、6人制が国際ルールとして制定されました。そして1964年の金沢市技に制定されたまさにこの年、東京オリンピックで正式種目となり、この記念すべき大会に、日本女子代表が金メダルを獲得しました。大松博文監督のもと、時間差攻撃や回転レシーブなど、数々の戦術を用いた日本チームは「東洋の魔女」と世界中から賞賛されました。

3.地元選手の活躍と根強いバレー熱

地元選手の活躍もめざましく、1980年全国高校総体において石川県立工業(男子)が全国優勝、1991年の石川国体において、石川県チームが7種目において3位以内の優秀な成績を残したほか、岩田 稔(ロス五輪)、越川 優(北京五輪)のオリンピック選手を輩出しています。
近年になり、市民スポーツの多様化等により、「市技」としての認知は薄れつつありますが、金沢市バレーボール協会では、一般の6人制、9人制に加え、小・中学生や家庭婦人、シニア等の大会のほか、年代別のソフトバレーボール大会等を開催し、各大会で熱戦が繰り広げられるなど、金沢市民のバレーボール熱は依然として高いものがあります。東京オリンピックでの日本代表チーム、そして「全国高校総体 北信越総体2021」での石川県チームの活躍に期待しています。

  • 今でも盛んなバレーボール大会

  • 国際大会で活躍する越川選手 ©日本文化出版株式会社

参考文献:「金沢市教育委員会50年史」 金沢市教育委員会

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